2022年 憲法フェスタin福岡

戦争NO!九条改憲NO!

=集会と憲法フェスタ・スタンディング=

主催 九条の会福岡県連絡会

共催 福岡県総がかり実行委員会

   市民連合ふくおか

 

◆警固公園集会

 2022年11月3日(木・祝)  14時 開会

 

◆憲法フェスタ・スタンディング(天神街宣)

 同上 15時~16時

 

   いまこそ、活かそう憲法

 

  命と暮らしと平和に

 

 

  その声を草の根から広げましょう


髙島・福岡市長の

自衛隊への若者の名簿提供を許さず

その撤回を求める申し入れ

2020年1月20日(月) 10:30~11:00 福岡市役所市民局局長室

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高島市長の自衛隊への住民名簿提供撤回申し入れ.pdf
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  安倍首相は昨年2月の自民党大会で、「(自治体の)6割以上が協力を拒否しているという悲しい実態がある」と述べつつ、憲法9条に自衛隊を明記する必要があるとの持論を展開しました。髙島市長はその発言を受け、自ら市の住民基本台帳システムを確認したうえで、今後(20204月から)は電子媒体や紙媒体でもって募集対象住民の名簿を自衛隊に提供するという方針を明らかにしました。

 私たちは、撤回を求める申し入れ書3通(5団体)を25人の仲間とともに提出しました。対応は市民局局長以下4人でした。

 局長は「審議会で検討され、法令に則り適切に対応します」との見解を示しました。参加者からは撤回を求める補強意見や、個人情報保護審議会や自衛官募集相談員に関する質問が出されました。短時間の申し入れでしたが、このような行動を諸団体・個人が続けることが重要です。

 そして、今後は、当事者となる若者にこのことを広く知らせ、彼ら自身の行動を促していくことが大切です。また、審議会に向けて、委員への働きかけや名簿提供不当の結論を導き出させるための取り組みが必要です。

 撤回に向け、ともに頑張りましょう!

 


1500人の大結集! 大成功!

築城(ついき)基地の米軍基地化を許さない! 福岡県集会

  2019/06/02(日) 13時~15時50分

 築上町ふるさと公園広場  自衛隊基地前までのデモ

 集会は、県内外の多くのみなさんが結集する中、ステージの発言者と参加者とが一体化した大変すばらしい内容のものとなりました。

 2.6キロのデモは、狭い道路を進むため、1列や2列の行進を余儀なくされましたが、参加者は「米軍来るな」「築城に来るな」「滑走路延長絶対反対」などのコールを、力強く街中に届け広げていました。

 写真をご覧ください。


2019年5月 沖縄行動

 復帰47年を迎える今年の「5.15」、私たち市民の会は18日~20日、県民大会参加や平和行進への参加、戦跡見学や基地視察、キャンプシュワブゲート前行動などを内容とした「沖縄行動」に取り組みました。

平和祈念公園

 「平和の礎」がある平和記念公園に行きました。公園は大変美しく整備されています。まず、カートに乗って公園内にある50基の慰霊塔を見て回りました。

 カートを降りると、そこから左右の礎に挟まれるようにして、海に向かって道が伸びています。道の先端は円形のひろばとなっています。この日も多くの見学者が礎の間を歩いたり、修学旅行生がガイドさんの説明を聞いたりしていました。

 礎にはお一人おひとりの名前が丁寧に刻みこまれていました。敵味方の区別なく慰霊するこの施設は、私たちが目指すべき未来や社会を象徴しているように思えました。

 展望塔にのぼると、公園の全景と美しい海を臨むことができました。そのあと、館内を見学しました。写真、ビデオ、当時の新聞、遺品等々により、当時の沖縄のようすや沖縄戦のことが、とても詳しくわかりやすく伝えられていました。戦前、沖縄の人の名前がわかりにくいと、例えば「仲村渠(なかんだかり)」を「仲村」「中村」などの本土風の名前に改姓する運動もあったことなど、この日初めて知りました。

 すぐに閉館の時刻になり、十分に見学することができなかったのが残念でした。訪れるみなさんには、是非十分な時間を確保し見学されることをお勧めします。


復帰47年平和とくらしを守る県民大会

 私たちは19日、宜野湾市役所から宜野湾海浜公園屋外劇場までの約8㎞の平和行進に参加しました。宜野湾海浜公園で開催された県民大会には、県内外から2000人が結集しました。

 沖縄平和運動センター議長の山城博治さんも元気な姿を見せられ、ゆるぎない闘いの決意を表明されました。

 山城さんから急に団結ガンバローの発声を任された仲村みおさんは、たじろぐことなく堂々とした態度と勢いのある声で団結ガンバローの三唱をリードしてくれました。


ゲート前

 20日(月)は、キャンプシュワブゲート前の座り込み行動に参加しました。県民大会の翌日ということで座り込み行動参加者は250人でした。参加者の多数の結集と、警察・機動隊の微弱な態勢により、午前の石材・資材搬入を阻止することができ、みなでその小さな勝利を喜び合いあました。

 


安和桟橋

 琉球セメント(株)は、この桟橋を石灰岩の積み出しのために設置しました。ところが今、ここから辺野古埋め立ての土砂が運搬船に積み込まれています。あきらかな目的外使用です。

 私たちが訪れたこの日、積み込みは行われていませんでしたが、入口は警備会社の警備員が立ち並び、厳重な警備をしいていました。この積み出し作業が始まってから、桟橋周りには新たなフェンスが設置されました。その向こう側をのぞき込むと、剃刀様の鋭い刃先をもつ有刺鉄線が張り巡らされていました。沖には、運搬船が停泊していました。説明していただいたカヌー隊の方の話では12隻の運搬船が使われているということでした。


2018/09/03~06「事故から8年目の福島の現実に学ぶフィールドワーク」

 

93日(月) 1日目

 経産省前テントひろばを訪問する。

(東京都千代田区霞が関)Kさんのおはなし

 

<東海第2原発再稼働阻止の闘いについて>

 9月1日に水戸市で1000人規模の集会があった。「止めよう!東海第二原発首都圏連絡会」をつくり、署名運動や抗議行動をしている。東海原発は40年の老朽・被災原発にも関わらず、さらに20年延長するという。また3・11の時は地震で停電したとき稼働していた電気が1つだけ動いていたためなんとか事故をまぬがれた。津波からもかろうじて助かったという被災原発である。今年11月には規制委員会は申請を認めようとしている。UPZ30キロという、規制委が勝手に決めた緊急措置があるが、96万人もの人がい。日本原子力発電()に東海第2原発の稼働を認めるなど、とんでもないことである。(O)

 

94日(火) 2日目

 ・楢葉町の宝鏡寺を訪ね、住職・早川篤雄氏(福島原発避難者損害賠償請求訴訟原告団長)のお話を伺う。

 ・富岡町の富岡第二中学校を視察する。

・福島原発直近の国道6号線を相馬市まで北上する。

 

 

宝鏡寺は600年を越える歴史をもつ山寺で、30代目の早川住職としての人生、あゆみは福島原発に反対する住民運動の歩みと重なるものである。

 

 3・11フクシマに際して「直感的に、これで終わった」「頭が真っ白になった」とその衝撃を表現された。その感覚、直感がきわめて「リアルな」ものに感じられた。

 

 早川住職作成の資料には、1953年アイゼンハワーの国連での「原子力の平和利用」提言以来の全9頁の年表がある。早川住職の手書きで作成され、おそらく勉強会や講演会など幾度となく使われたことだろう。この40年余の活動の姿を思い描いた。(A)

 

 

95日(水) 3日目

 ・原発20㎞圏内の南相馬市・浪江町(希望の牧場、請戸小ほか)を視察する。

 ・飯舘村役場を訪問する。

 ・飯舘村の元酪農家・長谷川健一氏(飯舘村前田地区在住 原発被害糾弾飯舘村民救済申立団団長)のお話を伺う。

 

 希望の牧場にも案内していただきました。吉澤正巳さんは汚染された牛の殺処分に抵抗して約300頭の牛の世話をしておられます。吉澤さんはご不在でしたが、美しく広い牧草地を多くの牛たちが餌をはみながら気持ちよさそうに過ごしているのを見ることができました。この牛たちの背後には、被ばくさせられ、その挙句に殺されていった多くの牛たちがいます。すべて命あるものは原発と共存できないことを、世界は人間だけのものではないことを、私たちは謙虚に自覚しなければならないと思います。(K)

 

96日(木) 4日目

 ・三春町を訪れ、富岡町から避難している園児・児童・生徒が通う「三春校(幼・小・中)」を視察する。

・「コミュタン福島」(福島県環境創造センター交流棟)を見学する。

 

 

子どもたちは,三春校へスクールバスで通っている。当初は,間仕切り等しながら少しずつ教室らしくなっていったようだ。様々な掲示等で学校らしい体はあるが,廊下の行き着く所や至る所が微妙にむき出しの元の建物が見える様でもある。だが,絵本や児童書が,かなり種類豊富に沢山置かれていた。様々な所からと思うが寄贈されているとのこと,温かい支援の広がりを感じる。教室も色々で,特に驚きの工夫は特別教室。一つの特別教室が理科、図工、家庭科の教室として使われていた。様々に検討され,アイデアを駆使されてのことだろう。音楽室は中学の先生の個性が生かされ,琴の演奏のできる方で琴もギターも生徒の数だけあり、豊かな文化にも出会えそうだ。また,4人の校長先生が1つの部屋に同居というのにも驚かされた。(S)

 

2018年3月23日

玄海原発3号機再稼働抗議ゲート前行動

九州電力は、3月23日、7年3カ月も停止させていた玄海原発3号機を再稼働させた。われわれは、このことを怒りをもって断固抗議する!!

  

九電は、川内原発に続き、玄海原発を再稼働させました。しかし、今まで、原発を動かさなくても、電気は足りていました。福島事故後、節電や省エネ、再生エネルギーの活用が進むなかで、九電の販売電力量は下がり続けています。これから人口減が進むにつれ、ますます電力需要は減っていきます。では、なぜ原発を動かすのでしょうか。

原発は動かさなくても、保守点検・維持のために莫大なお金がかかります。燃料費負担の大きい火力発電を止め、太陽光などの再生エネルギーの活用を抑制し、それを原発に変えれば九電は儲けを増やすことができるわけです。一民間企業のそのような利潤追求のために、住民の命やくらしを犠牲にすることなど認められません。

 

住民の命とくらしと財産を守り、平穏な生活を守っていくために、玄海原発の稼働停止と廃炉を求めましょう!


2018年3月18日 いのちと暮らしを守る福岡県集会

 冷泉公園で開かれたこの集会、福岡県下から5000人の結集を得られ、盛況のうちに会を終えることができました。3コースに分かれたデモは、市民の注目を浴びながら元気にコールを繰り返しながら博多、天神の街なかを行進しました。

以下は、集会での「市民の会」からのアピールです。

 

 311日の朝、NHKラジオのドキュメンタリー番組を聞きました。原発事故で避難された40代の女性が支援者に届けた言葉が放送されていました。

 

「廃炉が終わり、病院等が再開されれば、故郷に帰るつもり。でも、夫の介護もあり、火葬代も出せません。何も悪いことなんかしてないのに。夫が死んだら故郷の家に安置し、自分もそこで死に、家に火を放つ予定にしています」と。

 たいへん衝撃的な言葉でした。原発事故から7年が過ぎ、今なお5万人を超える方々が避難を余儀なくされていますが、避難者への支援は次々と打ち切られています。原子力災害対策特別措置法に基づく福島第1原発への原子力緊急事態宣言は、未だ解除されていません。福島原発事故は、今も続いているのです。にもかかわらず、安倍政権は、放射線量が年20ミリシーベルトを下回る区域の避難指示を解除し、避難者を帰還させています。日本国民一般の放射線被ばく限度は年間1ミリシーベルトです。原発事故避難者に対してだけ、その20倍もの基準を設け、放射線管理区域であるレントゲン室と同様の環境の中で子供を産み、育て、暮らし、生きていけと、言っている訳です。このような政治は許されません。

 

  3月23日()、九州電力は玄海原発3号機を再稼働させようとしています。その差し止めを求める仮処分の決定が、三日前の3月20日(火)、佐賀地裁において出されます。ここで再稼働差し止めが認められず、九電が再稼働を強行するようであれば、私たちは3月23日()、玄海原発現地や九電本店前、さらには各地の九電支店前で、怒りの抗議行動を大きく展開していきましょう。住民の命と暮らしを危険にさらす九電の暴挙を見過ごしてはなりません。

 世界は再生可能エネルギーへと舵を切り、脱原発は世界の趨勢です。原発に未来などありません。みなさん、力を合わせましょう!「原発のない社会」づくりをめざして、ともに頑張りましょう!


2500人が結集!

オール九州 玄海原発再稼働 許さない!

2017年8月27日、「原発いらない!九州実行委員会」の主催で、標記集会が開かれました。九州各地、東京、韓国などから玄海原発再稼働に反対する多くの人々が結集しました。集会後は、歩道と車道の二つのコースに分かれ、コールをしながら九電本店までのデモをこないました。

 九電本店前では歩道に座り込み、1時間弱のアピール行動が行われました。九州各地、政党議員のスピーチには大きな拍手が送られました。また、参加者全員による「玄海原発再稼働反対」「原発いらない」「川内原発今すぐ止めろ」「九電変われ」などのシュプレヒコールが繰り返し九電本社に向けてたたきつけられ、多くの市民から注目を浴びていました。

 

と き:2017年8月27日(日) 14:00~16:00

ところ:福岡市・警固公園(福岡市中央区天神2-2)

  集会・デモ・九電包囲アピール行動

再稼働はいのちと故郷を奪うもの、

私たちは、玄海原発の再稼働に「同意」しない!


2017年7月17日

「オスプレイ&佐賀の平和と未来を語るシンポジウム」報告

    標記シンポが、7月17日(月)午後2時から佐賀市・南川副小学校体育館で開催されました。テレビ局や新聞社の取材も多かったようです。参加者は430人と発表されました。主催者の予想よりも参加者が多かったようで、用意した資料が途中で不足したようでした。シンポジストの発言をほんの一部紹介します。

古賀初次さん 佐賀空港への自衛隊オスプレイ等配備反対地域住民の会会長
「有明海の海苔づくりを引き継ぐ若い漁業者も増えてきた。子どもや孫が安心して暮らしていける川副町にしたいと思っている」

原口一博さん 衆議員議員(民進党)
「今日来られなかった人に伝えて欲しい。①佐賀のことは佐賀で決めよう、②自衛隊オスプレイ配備は米軍の配備訓練と一体である、③配備に係る手当や予算はついていない。対策はマイナス100点だ。私たちは日本版の海兵隊はいらない」

仁比聡平さん 参議院議員(共産党)
「バルーンの飛ぶ佐賀の空を守り、宝の海を守るのが県民の思いであり、絶対に譲ることのできない民意である。国防への協力とは国に従うこと、つまりアベ政治や稲田朋美氏に従うということだ。」

徳光清孝さん 佐賀県議会議員(社民党)
「7月3日の佐賀県議会決議は漁業者を孤立させようとねらうものだ。自民党が公明党を取り込むために、議会運営委は開会後すぐに休憩に入り、議会開会も予定より50分も遅れさせた。来年度概算要求に間に合わせるためにこの決議を挙げさせたのだ」

 漁業者・地権者を孤立させることなくたたかおうという訴えは、会場全参加者の共有するものとなりました。シンポジストの顔ぶれは、オスプレイ配備反対をたたかうオール佐賀、オール九州という陣形の萌芽を感じさせるようにも思えました。

 

2017年6月28日 九電株主総会会場前街宣

 九電株主総会のこの日、私たち市民の会は8:30から10:00までの会場前街宣を呼びかけました。

 開始の時間になると雨も止み、参加者も次第に増えてきました。チラシが濡れることも気にする必要もなくなりました。脱原発・反原発をたたかう消費者株主の会のみなさんも、会場前で気持ちのこもったマイクアピールをされていました。市民の会は、横断幕を広げ、幟を立て、メーッセージボードを手に持ってスタンディングをしながら、用意したチラシを株主のみなさんや、通行人の方々に手渡し、反原発・脱原発をアピールしました。

 開会時刻が近づき、消費者株主の会のみなさんが会場入りされるときには、激励と応援のコールを送りました。みなさんは私たちに手を振って応えながら入場されました。その後の30分間ほどは、交代でマイクアピールを行いました。終了後の短いふりかえりの場で久留米から参加されたTさんが「また、来年も来ましょう!」と元気な声で発言されました。その言葉にみんなで笑い、共感しながら当日の行動を終了していきました。

 

不同意署名終了の報告とお礼

佐賀県知事に玄海原発再稼動不同意を求める署名

(2017年04月24日終了

 

40280

 佐賀県知事は、再稼働不同意を求める4万人もの願い要請を無視して再稼働容認を表明しました。従いまして継続して取り組んでまいりましたこの署名も、4/24日限りで終了とさせていただきます。この間の、みなさまのご協力とご尽力に、深く感謝申し上げます。